2011/01/07










2011/01/06







トラスカラに住む家族のための自助建設の家の計画

メキシコシティからバスで2時間東に走るとトラスカラという小さな州に出る。工場が点々と立つところはあれ、大部分は丘とまばらな林のひろがる良い田舎である。ここに住む家族は木と波板で自分の家を建設する知恵と逞しさをもっているが、それは経済的貧しさの裏返しである。アントニオ・ネグリとマイケル・ハート、あるいはイヴァン・イリイチが叫ぶ貧者の豊かさとはこのことであり、マルティン・ハイデガーが「建てること=住むこと=考えること」で叫ぶ人間の存在論がここにある。

この地域ではコンクリートブロックは贅沢品で、これで家を建てれば貧しい階級から脱しているとみなされる。だからこの家は土と竹と波板で作られる。材料の大部分はこの近所で採れるものであり、当然無料のものである。この家は経済的イコンとならない。
この家には入母屋、方形、寄棟と、もうひとつの小さな方形の屋根がある。この家の外部/内部で生活ですることで、4つの屋根が経験される。屋根の形式は、構法を簡易にし、空間にまとまりをもたせることで場所をつくるための方便である。
この家の大きな屋根のかたちは方形であるが、構造的にいうとピラミッド型の単層ラチスシェルといったほうが理解しやすい。屋根の構造に用いられる竹は断面寸法がそう大きく変わらないので、ふつう方形を構成する登り梁/母屋/垂木といった部材のヒエラルキーを設けることができない。部材を等価にはたらかせる構造としてはラチスシェルが適当である。ほとんどの接点は植物の紐によって接合される。
この家には人の家(寝室)、水の家(浴室)、火の家(煙突)が包含されていて、その残余が居間である。寝室はコンクリート壁の10倍の熱容量をもつ土壁と厚い空気層によって熱的に緩衝される。これは山地であるため昼は暑く夜は寒いためである。この家の主はこの家の材料である竹と土、それにこれに住まう人、水、火である。物質(というかもはや元素)と人はこの家において等価である。なぜなら、この場所では人間が自然を服従するような生活ではないのだから。

さらにいえば、この家の計画においては、材料のもつ経済的イコン/かたちの形式/構造/部材/熱環境といったことがらが等価に扱われている。それは貧しさからくる無駄を極端に少なくする組合せによるものである。そしてこの限界的な状態は美しさの源泉となるのではないか。F1マシンの美しさを見よ。