2010/04/28


2010/04/25




2010/04/21



TabiTabiTOYO 4月号記事解題
Centro Urbano Presidente Alemán - Mario Pani, Casa Giraldi - Luis Barragan

ピラミッドやカテドラルといった最初の建築は、社会の表象であった。それは社会と人間が必要とするものであり、建築は彼らにとって力であった。メキシコではいまだに建築は人々にとって力であり、モニュメントであり、彼らの存在の一部である。もしメキシコシティにセントロ・ヒストリコや、ソカロや、大学図書館や、シケイロスのポリフォルムが無かったとして、メキシコは今日ほど自分たちを誇っていただろうか。

他方で、印刷と通信の技術が進歩し、世界中の地域が情報によって伝達されるようになると、建築は写真と言説でされるようになった。建築がその敷地を離れることができない宿命をもつために、時間とパースペクティブを固定された図像=写真と、伝聞の誤差と語り手の解釈を含んだ文字=言説が建築を運ぶこととなる。これらは建築のプロバガンダに大きく寄与したが、空間を正確に伝えることはできない。空間は身体をもってはじめて経験されるものである。

しかしながら、市場経済が空間を切り売りすることを発明して以降、建築は資本化され、私有化され、あるいは過度に丁重に保護されて、経験される機会を失っている。もはや私たちは一部の公共建築を除いて建築を経験することができなくなってしまったではないか。運良く公共建築や住宅建築に入れたとしても、美術品を鑑賞するように観察することがせいぜいであって、自由にふるまうことも占有することもできない。建築はいつしか人々から離れ、すっかり権威化してしまった。それと同時に虚構になったといえるかもしれない。

私たちは建築/空間を使い、占有し、経験しなければならない。そうでなければ建築は私たちのもとからますます遠ざかり、ガラスで隔てられた美術品のようになる。ただ網膜で経験するために、建築は作られたのではない。建築は私たちのものである。

記事に取り上げた2つのフィエスタは、膠着しかけた建築を使い、占有し、経験する試みである。

セントロ・ウルバノ・プレシデンテ・アレマン(Centro Urbano Presidente Alemán=CUPA)はメキシコにおける近代建築の旗手マリオ・パニによる1949年の集合住宅である。1940-50年にかけてメキシコシティの人口は150万人から300万人へと文字通り倍加し、人口増加率はピークを迎えていた。これに伴う深刻な住宅不足に対応する公共事業として本建物が計画された。限られた予算と工期、そして求められる収容戸数から、パニはコルビジェの輝ける都市のモデルを採用し、地上の公園に高層棟が疎に配置する計画を提案した。まとまった規模の計画が希有なメキシコシティにおいて、この計画は当時のみならず今日においても、隣棟間隔の大きさから窓を可能にし、豊かな日光と眺望を得ている。また住棟もインテリアもざっくりとした大きな造形が特徴的であり、近代主義たしい合理的な印象を与えている。
こうした「屋外のようで」「大きな造形」という"良さ"を増長するように、改装設計をした。少し折れた壁と出っ張った梁型に合わせた壁のような棚は、隣の石膏の壁と面が連続し、天井のルーバーは部屋の真ん中に出っ張る梁をカモフラージュして大きな面をつくる。いずれも窓からの潤沢な光を受け、自然光の存在を強調する。また唐突に部屋に立っている大きな柱状の立体に合わせて大きな塊のようなベンチとソファを置く。こうした自然光を増長する要素と家具らしくない家具によって、空間は住宅らしさを失う代わりにパブリックスペースの質を帯び始める。それはフィエスタに適した空間である。
改装のオープニングパーティーではのべ50人あまりの人々が訪れ、それぞれが居場所を見つけて自由に振る舞い、住宅として設計されたはずの空間を変容させていった。




上左:CUPA住棟配置 上右:輝く都市 中左:CUPA外観 中右:改装作業 下左:改装前の内装 下右:改装後フィエスタの風景

ヒラルディ邸(Casa Gilardi)はメキシコ近代建築の父ルイス・バラガンの最後の作品である。現在は住人がいながらも一般公開されており、入場料を払えば地上階の廊下、プールのある主室、パティオを見学できる。この作品ではバラガンの手法がマニエリスムに達し、住宅とは思えない幻想的な空間が成立している。玄関に続く廊下はトラルパンの教会のように、断続的に並んだ色つきガラスを透過した黄色い光で満たされている。主室は石張りの床、荒い肌理で白色の壁と天井、同様に荒い肌理で青い入隅の壁とピンク色の壁柱を切断するように水面が横たわり、青い壁の上の天窓からは限定的で演出的な自然光が差し込む。ごく抽象的な色と物質と光によって構成される空間からは現実感が蒸発してしまっている。昼間は光が水面を貫通して水はその質量を失い、夜はプールの浅い位置に埋め込まれた照明からの光がほとんど全反射して、水の塊が光で充満する。水と空気の境目が際だつ状態は、昼に無化された水面とは真逆。水は光によって存在を得て、壁は色によって質量を失い、いまだ知り得ぬ浮遊感が室を満たす。
アルベルト・カラチ事務所勤務の廣澤さんが調査のなかで家主と親交をもち、誕生日パーティーをこの空間で行うこととなった。パティオの白い壁に映像がプロジェクションされ、食事とお酒が用意され、80人あまりのゲストがこれを占拠する。ヒラルディ邸はもはや固定された美術品ではない。


左:ヒラルディ邸廊下 中:夜間の主室 右:フィエスタ風景

こうした空間の質の意図的な変容については、アンリ・ルフェーブルの「空間の生産」に詳しい。ルフェーブルは本著で空間の三分法を説いた。第一に、物理的に定義された、あるいは建築家や都市計画者といった特定の専門家に思考された空間を「空間の表象」と呼ぶ。これは生きられた経験から切り離された結果の抽象空間である。ルフェーブルはこの空間の表象を批判しており、やり玉としてコルビジェを挙げているのだが、先のパニによるCUPAはまさにコルビジェの合理性を敷衍した空間の表象である。またバラガンが目指した抽象空間もじつに建築家的であり、権威を伴った空間の表象であるといえよう。
第二に、人に生きられ物に凌駕された空間を「表象の空間」と呼ぶ。民家、祭、市場といった、行為により生産された空間である。メキシコでいえば、ベシンダー、伝統の儀礼、メルカドがこの表象の空間にあたる。メキシコ人の国民性には表象の空間が内蔵されていて、いとも簡単に生きられた空間を生産するのである。
「空間の表象」対「表象の空間」、計画者対ユーザーといった二項対立が空間を語るときの図式として採られがちであったが、第三にルフェーブルは「空間的実践」の存在を説く。これは物による空間に制度と行為が呼び出された状態である。つまり、制度にもふるまいにも根拠をもたない、自律した物的空間である。たとえばソカロは、マヤによるテノチティトランの設立、スペイン人によるピラミッドの取り壊しとこの石材を利用したカテドラルの建立といった制度の変遷の舞台でありながら、メキシコ人が一斉に生贄となり、独立記念日に叫び、あるいは氷が張られスケートリンクとなるような人々の行為を担保する場でもある。しかしながら、ソカロは計画された空間とも生きられた空間とも言い切ることはできない。ソカロは物的環境として自律した主体である。



上左:「空間の生産」カバー 上中:オースマンにより計画されたパリ=空間の表象 上右:メキシコシティのベシンダー=表象の空間 下左:グアナファトのメルカド=表象の空間 最右:群衆に占拠されるソカロ=空間的実践

先の2つのフィエスタは、権威的になりかかっている建築作品=空間の表象に対し、フィエスタによる使用・占拠=表象の空間を重ねることで、物としての空間のポテンシャル=空間的実践を止揚する試みである。そして建築を建築作品の枠組みから脱出させる試みでもある。そして大変幸運なことに、メキシコにはこうした空間の質を転換できる冗長性が十分に残されているのである。

2010/04/19

2010/04/16


ビアヘス東洋メヒカーナという、メキシコでは数少ない日系旅行会社が出版しているTabiTabiTOYOというフリーの雑誌に連載をさせていただいています。毎月日本食レストランとか日本食スーパーとか大使館なんかで配布しているので、もし手に取る機会があればご覧ください。
紙面ではリッチメディアの写真が有利なので、文章は要点を掠めるようにして短く書いている。しかし説明したい内容はたくさんあるし、建築プロパーでなければ嫌気が差すだろうと思うので、ここで覚書として解題をしたためておきたい。
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TabiTabiTOYO 3月号記事解題
Biblioteca Público de México - Alberto Kalach


メトロ・ブエナビスタ駅に並んで、同様に駅のように細長い250mの建物がある。外観は水平ルーバーに覆われた直方体で、一見してプログラムを察することができないくらい無性格である。オフィスでも、病院でも、集合住宅でもありえそうで、新しくてきれいな大きな建物という印象を脱することはない。
建物に対しては小さく、身体にとっては大きな扉をくぐると状況は一転する。厖大なスチールの書架が降り注ぎ、石貼りの床の艶の上の、寸でのところで静止している。鍾乳洞の造形のように、滴る液体の運動が固定したようである。構造的には、巨大なノコギリ屋根を支えるメガトラスから、全ての書架が吊られている。書架の縦板は引張力を受ける構造体であり、そこに見えない応力が張りつめ、残余の空間を緊張感で満たしている。将来増加する国立図書館の蔵書のために増設可能な書架システムを採用したそうだが、それはインテリアを成立させための理由にすぎないだろう。かつてのノーマン・フォスターやリチャード・ロジャースのごとく、技術表現主義を高らかに謳い上げた建築である。こうした技術表現の嗜好はメキシコ近代建築の一特徴でもあって、とてもメキシコらしい。ただし、彼らが構造形式や工業的モチーフを建築の全体にわたって表現したのに対して、インテリアのみで技術を表現しているカラチはやや禁欲的であるといえよう。

左:香港上海銀行/ノーマン・フォスター 1985 中:ロイズ本社ビル/リチャード・ロジャース 1984 右:ポンピドゥー・センター/リチャード・ロジャース+レンゾ・ピアノ 1978

平面は細長い長方形で、吊られた書架により断面は上ほどすぼまった三角形になっている。その三角柱のような残余空間を書架がピクセレートして、無数の線分と角が空間を形成している。ノコギリ屋根からは潤沢に自然光が降り注ぎ、書架の背後からルーバーを通過した光が漏れてくる。空間の形といい、インテリアを満たす立体的な情報の多さといい、天からの光といい、これはカテドラルのインテリアに酷似している。バシリカの身廊と側廊の線形平面と断面が上にすぼまったアーケード、柱のフルーティングとリブの彫塑的装飾、クーポラとクリアストーリーからの限定的な光といったものが、内部空間に神聖性や荘厳さを与える手法として現代の図書館に引用されている。

ランスのノートル・ダム大聖堂内部

そして、こうした空間を満たしている主体が図書だということを見逃してはいけない。床/壁/天井、あるいは柱や開口部といった古典的な建築言語で空間が構成されているものでもないし、この空間をヴォイドと言い捨てることもできない。どちらかといえば、観衆に占有されたスタジアムや、売り物と商売のやりとりに占有された市場に近い。この図書館は図書に占有されていて、図書が空間の主人である。厖大な図書が内部空間を満たし、空間の形を限定し、空間を覆っている。圧倒的な空間の主人の存在の前に、私たちは身体の存在を忘れてしまう。こうした経験だけで、この空間には十分な新しさがあるといえる。

イェール大学図書館/SOM 1963

先に説明したアクロバティックな構造形式とその表現は近代建築の方法である。神聖性と荘厳さを与える空間の形状は中世の方法である。そして図書で空間をつくるのは現代的方法といえよう。このように中世/近代/現代に根ざす空間をつくるための方法論を、時代を跨いで自在に引用し重ね合わせるという手法は、翻って現代的であるといえよう。時代を超えた引用といえば、引用したイコンの操作によってモダニズムの解体を試みたポストモダニズムの手法が思い出されるが、カラチが過去(あるいは現在)から引用しているのは意味ではなく方法である。イコノグラフィはモダニズムを解体はしても、新たな道とはなり得なかった。時代を軽々と超えて建築の方法を引用し、齟齬無く重ね合わせるカラチの建築的リテラシの高さは、ポストモダニズムが行き当たった袋小路を打破するものではないかと、期待してやまない。

2010/04/06



親友が日本で結婚するというので諸手を挙げて喜ぶところが、結婚式の日には帰国できないので困ってしまった。そこでたまたま事務所を手伝ってくれていたビデオ編集者の石川さんとボスたちとメッセージビデオを撮ることに。打合せシーンの収録から、Marquesaで馬を借りてマリアッチを歌うシーンの収録で終わるはずだったが、居合わせたキュレーターのクリエイティビティーに火が着き、気付いたら20人のアーティストが集結してガリバルディ広場に遊軍して、雇った10人のマリアッチをバックに歌うことになっていた。
アーティストの家でお披露目上映会を行うということで、作ったフライヤーが上のチョビひげ画像である。

2010/04/05


ビアヘス東洋メヒカーナ社のフリーペーパーTabiTabiTOYOの棚が完成。縦板が斜めを向いていて、互いに重なっている。奥には在庫が入り、手前には表紙がディスプレイされて、バックナンバーを見せながら収蔵する壁みたいな棚。

2010/04/03




日帰りでBalle de Bravoへ。全ての建物が街路に軒を出している。少し高かったり、低かったり、長かったり、短かったり、テラスがついていたり、頬杖がついていたりしながら、みんながみんな木のキャンチレバーを突き出している。街路のパースペクティブは単調ならざるティンバーのリズムで特徴づけられている。ここは坂と軒裏の街。
















早朝6:30にGuadarajaraに着き、セントロを素通りして、Matias Geritzによるラテンアメリカ最初のパブリックアート、パハロを見に行く。車道にはみ出さんとして詰め寄る巨大な鳥。通りがかると必ず近くから見る事になるので、視点の変化に応じてその輪郭が劇的に変化していく。近景をもつモニュメントはとてもダイナミック。
途中で現代美術のグループSector Reformaによるパブリックアートを通りがかる。大通りの真ん中を走る歩道に、タイルによる丁寧なペーブメントの「$」のマークがさりげなく現れる。歩道を歩いている限りはこの記号の意味を認識できるほどの遠景を得ることはない。たくさんの人がその意味を意識しないまま「$」を踏みつけ、自転車が「$」の上を通り過ぎ、掃除人のおじさんが「$」に積もった塵を掃いていく。
ZapopanにあるKalachの小学校を見学。荒涼とした山肌のなかに突然美しく整備された芝生の庭が現れる。勾配をもった芝生が大きくはがれて、土に半分埋まった教室群が覗く。コンクリートの折板が緩やかに延びながら地面を持ち上げていて、地面の割け目に水平に細長い、ガラスと濃い色の木の立面が嵌まっている。ごつごつとした山を背景にして青々とした校庭は気持ちいいが、教室の奥は光から遠く、重々しい物質に圧迫され、空気は止まっている。洞窟のようで些か息苦しい空間だった。
その足でMexcaltitanへ。集落の教えで原広司が紹介した、かなり伝説的な村である。かつてアステカ人はここでご信託を受けて旅を始め、Tenochtitlanにたどり着き、出発地のような湖上の都市を作ったという。バスに5時間、タクシーに1時間弱のって、最後はボートで汽水に浮かぶマングローブの林を駆け抜けて、小さなその島にたどり着く。日没とともに艀に下りて中心に向かうと、島と同じく小さな建物と小さな道が、すこしづつのイレギュラーをもちながら、島と同じように同心円状に並んでいる。環状の街路が1周と東西南北を向いてソカロと外周の水辺をつなぐ十字架型の街路が4筋。泥棒というコンセプトの無いこの島では、窓もドアも開け放たれ、小さな街路の公共性と小さな部屋の私性が互いに流れ込みあっている。街路は廊下のようだし、部屋は道のニッチのようだ。道に生える熱帯植物は部屋の鉢植えのように存在しているし、家具は室内にあっても屋外にあってもその意味が変わることなはい。ファサードは存在してはいるものの、内外を峻別しない。なぜか多い若者は終点の無い円周の道を、話し、歌いながらぐるぐると何周も回っている。日はどっぷりと落ち、明るい月が上り、じきにあまりにも美しい朝がやってくる。生活は夜の間だけ止まり、おびただしい鳥の声と、太陽の再来とともに始まる。この島では形も行動もリズムも円環を描いていて、ミクロ・コスモスという言葉の意味を知ることになる。スケールの小さな、完結した場所で、ほとんど全てのものが関係しあっている。関係の密度の高い空間なので、のびやかな生活が充満してはいるが、通奏低音のような緊張感が全体を満たしている。