
ビアヘス東洋メヒカーナという、メキシコでは数少ない日系旅行会社が出版しているTabiTabiTOYOというフリーの雑誌に連載をさせていただいています。毎月日本食レストランとか日本食スーパーとか大使館なんかで配布しているので、もし手に取る機会があればご覧ください。
紙面ではリッチメディアの写真が有利なので、文章は要点を掠めるようにして短く書いている。しかし説明したい内容はたくさんあるし、建築プロパーでなければ嫌気が差すだろうと思うので、ここで覚書として解題をしたためておきたい。
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TabiTabiTOYO 3月号記事解題
Biblioteca Público de México - Alberto Kalach





メトロ・ブエナビスタ駅に並んで、同様に駅のように細長い250mの建物がある。外観は水平ルーバーに覆われた直方体で、一見してプログラムを察することができないくらい無性格である。オフィスでも、病院でも、集合住宅でもありえそうで、新しくてきれいな大きな建物という印象を脱することはない。
建物に対しては小さく、身体にとっては大きな扉をくぐると状況は一転する。厖大なスチールの書架が降り注ぎ、石貼りの床の艶の上の、寸でのところで静止している。鍾乳洞の造形のように、滴る液体の運動が固定したようである。構造的には、巨大なノコギリ屋根を支えるメガトラスから、全ての書架が吊られている。書架の縦板は引張力を受ける構造体であり、そこに見えない応力が張りつめ、残余の空間を緊張感で満たしている。将来増加する国立図書館の蔵書のために増設可能な書架システムを採用したそうだが、それはインテリアを成立させための理由にすぎないだろう。かつてのノーマン・フォスターやリチャード・ロジャースのごとく、技術表現主義を高らかに謳い上げた建築である。こうした技術表現の嗜好はメキシコ近代建築の一特徴でもあって、とてもメキシコらしい。ただし、彼らが構造形式や工業的モチーフを建築の全体にわたって表現したのに対して、インテリアのみで技術を表現しているカラチはやや禁欲的であるといえよう。



左:香港上海銀行/ノーマン・フォスター 1985 中:ロイズ本社ビル/リチャード・ロジャース 1984 右:ポンピドゥー・センター/リチャード・ロジャース+レンゾ・ピアノ 1978
平面は細長い長方形で、吊られた書架により断面は上ほどすぼまった三角形になっている。その三角柱のような残余空間を書架がピクセレートして、無数の線分と角が空間を形成している。ノコギリ屋根からは潤沢に自然光が降り注ぎ、書架の背後からルーバーを通過した光が漏れてくる。空間の形といい、インテリアを満たす立体的な情報の多さといい、天からの光といい、これはカテドラルのインテリアに酷似している。バシリカの身廊と側廊の線形平面と断面が上にすぼまったアーケード、柱のフルーティングとリブの彫塑的装飾、クーポラとクリアストーリーからの限定的な光といったものが、内部空間に神聖性や荘厳さを与える手法として現代の図書館に引用されている。

ランスのノートル・ダム大聖堂内部
そして、こうした空間を満たしている主体が図書だということを見逃してはいけない。床/壁/天井、あるいは柱や開口部といった古典的な建築言語で空間が構成されているものでもないし、この空間をヴォイドと言い捨てることもできない。どちらかといえば、観衆に占有されたスタジアムや、売り物と商売のやりとりに占有された市場に近い。この図書館は図書に占有されていて、図書が空間の主人である。厖大な図書が内部空間を満たし、空間の形を限定し、空間を覆っている。圧倒的な空間の主人の存在の前に、私たちは身体の存在を忘れてしまう。こうした経験だけで、この空間には十分な新しさがあるといえる。

イェール大学図書館/SOM 1963
先に説明したアクロバティックな構造形式とその表現は近代建築の方法である。神聖性と荘厳さを与える空間の形状は中世の方法である。そして図書で空間をつくるのは現代的方法といえよう。このように中世/近代/現代に根ざす空間をつくるための方法論を、時代を跨いで自在に引用し重ね合わせるという手法は、翻って現代的であるといえよう。時代を超えた引用といえば、引用したイコンの操作によってモダニズムの解体を試みたポストモダニズムの手法が思い出されるが、カラチが過去(あるいは現在)から引用しているのは意味ではなく方法である。イコノグラフィはモダニズムを解体はしても、新たな道とはなり得なかった。時代を軽々と超えて建築の方法を引用し、齟齬無く重ね合わせるカラチの建築的リテラシの高さは、ポストモダニズムが行き当たった袋小路を打破するものではないかと、期待してやまない。