
TabiTabiTOYO 4月号記事解題
Centro Urbano Presidente Alemán - Mario Pani, Casa Giraldi - Luis Barragan
ピラミッドやカテドラルといった最初の建築は、社会の表象であった。それは社会と人間が必要とするものであり、建築は彼らにとって力であった。メキシコではいまだに建築は人々にとって力であり、モニュメントであり、彼らの存在の一部である。もしメキシコシティにセントロ・ヒストリコや、ソカロや、大学図書館や、シケイロスのポリフォルムが無かったとして、メキシコは今日ほど自分たちを誇っていただろうか。
他方で、印刷と通信の技術が進歩し、世界中の地域が情報によって伝達されるようになると、建築は写真と言説でされるようになった。建築がその敷地を離れることができない宿命をもつために、時間とパースペクティブを固定された図像=写真と、伝聞の誤差と語り手の解釈を含んだ文字=言説が建築を運ぶこととなる。これらは建築のプロバガンダに大きく寄与したが、空間を正確に伝えることはできない。空間は身体をもってはじめて経験されるものである。
しかしながら、市場経済が空間を切り売りすることを発明して以降、建築は資本化され、私有化され、あるいは過度に丁重に保護されて、経験される機会を失っている。もはや私たちは一部の公共建築を除いて建築を経験することができなくなってしまったではないか。運良く公共建築や住宅建築に入れたとしても、美術品を鑑賞するように観察することがせいぜいであって、自由にふるまうことも占有することもできない。建築はいつしか人々から離れ、すっかり権威化してしまった。それと同時に虚構になったといえるかもしれない。
私たちは建築/空間を使い、占有し、経験しなければならない。そうでなければ建築は私たちのもとからますます遠ざかり、ガラスで隔てられた美術品のようになる。ただ網膜で経験するために、建築は作られたのではない。建築は私たちのものである。
記事に取り上げた2つのフィエスタは、膠着しかけた建築を使い、占有し、経験する試みである。
セントロ・ウルバノ・プレシデンテ・アレマン(Centro Urbano Presidente Alemán=CUPA)はメキシコにおける近代建築の旗手マリオ・パニによる1949年の集合住宅である。1940-50年にかけてメキシコシティの人口は150万人から300万人へと文字通り倍加し、人口増加率はピークを迎えていた。これに伴う深刻な住宅不足に対応する公共事業として本建物が計画された。限られた予算と工期、そして求められる収容戸数から、パニはコルビジェの輝ける都市のモデルを採用し、地上の公園に高層棟が疎に配置する計画を提案した。まとまった規模の計画が希有なメキシコシティにおいて、この計画は当時のみならず今日においても、隣棟間隔の大きさから窓を可能にし、豊かな日光と眺望を得ている。また住棟もインテリアもざっくりとした大きな造形が特徴的であり、近代主義たしい合理的な印象を与えている。
こうした「屋外のようで」「大きな造形」という"良さ"を増長するように、改装設計をした。少し折れた壁と出っ張った梁型に合わせた壁のような棚は、隣の石膏の壁と面が連続し、天井のルーバーは部屋の真ん中に出っ張る梁をカモフラージュして大きな面をつくる。いずれも窓からの潤沢な光を受け、自然光の存在を強調する。また唐突に部屋に立っている大きな柱状の立体に合わせて大きな塊のようなベンチとソファを置く。こうした自然光を増長する要素と家具らしくない家具によって、空間は住宅らしさを失う代わりにパブリックスペースの質を帯び始める。それはフィエスタに適した空間である。
改装のオープニングパーティーではのべ50人あまりの人々が訪れ、それぞれが居場所を見つけて自由に振る舞い、住宅として設計されたはずの空間を変容させていった。





上左:CUPA住棟配置 上右:輝く都市 中左:CUPA外観 中右:改装作業 下左:改装前の内装 下右:改装後フィエスタの風景ヒラルディ邸(Casa Gilardi)はメキシコ近代建築の父ルイス・バラガンの最後の作品である。現在は住人がいながらも一般公開されており、入場料を払えば地上階の廊下、プールのある主室、パティオを見学できる。この作品ではバラガンの手法がマニエリスムに達し、住宅とは思えない幻想的な空間が成立している。玄関に続く廊下はトラルパンの教会のように、断続的に並んだ色つきガラスを透過した黄色い光で満たされている。主室は石張りの床、荒い肌理で白色の壁と天井、同様に荒い肌理で青い入隅の壁とピンク色の壁柱を切断するように水面が横たわり、青い壁の上の天窓からは限定的で演出的な自然光が差し込む。ごく抽象的な色と物質と光によって構成される空間からは現実感が蒸発してしまっている。昼間は光が水面を貫通して水はその質量を失い、夜はプールの浅い位置に埋め込まれた照明からの光がほとんど全反射して、水の塊が光で充満する。水と空気の境目が際だつ状態は、昼に無化された水面とは真逆。水は光によって存在を得て、壁は色によって質量を失い、いまだ知り得ぬ浮遊感が室を満たす。
アルベルト・カラチ事務所勤務の廣澤さんが調査のなかで家主と親交をもち、誕生日パーティーをこの空間で行うこととなった。パティオの白い壁に映像がプロジェクションされ、食事とお酒が用意され、80人あまりのゲストがこれを占拠する。ヒラルディ邸はもはや固定された美術品ではない。


左:ヒラルディ邸廊下 中:夜間の主室 右:フィエスタ風景こうした空間の質の意図的な変容については、アンリ・ルフェーブルの「空間の生産」に詳しい。ルフェーブルは本著で空間の三分法を説いた。第一に、物理的に定義された、あるいは建築家や都市計画者といった特定の専門家に思考された空間を「空間の表象」と呼ぶ。これは生きられた経験から切り離された結果の抽象空間である。ルフェーブルはこの空間の表象を批判しており、やり玉としてコルビジェを挙げているのだが、先のパニによるCUPAはまさにコルビジェの合理性を敷衍した空間の表象である。またバラガンが目指した抽象空間もじつに建築家的であり、権威を伴った空間の表象であるといえよう。
第二に、人に生きられ物に凌駕された空間を「表象の空間」と呼ぶ。民家、祭、市場といった、行為により生産された空間である。メキシコでいえば、ベシンダー、伝統の儀礼、メルカドがこの表象の空間にあたる。メキシコ人の国民性には表象の空間が内蔵されていて、いとも簡単に生きられた空間を生産するのである。
「空間の表象」対「表象の空間」、計画者対ユーザーといった二項対立が空間を語るときの図式として採られがちであったが、第三にルフェーブルは「空間的実践」の存在を説く。これは物による空間に制度と行為が呼び出された状態である。つまり、制度にもふるまいにも根拠をもたない、自律した物的空間である。たとえばソカロは、マヤによるテノチティトランの設立、スペイン人によるピラミッドの取り壊しとこの石材を利用したカテドラルの建立といった制度の変遷の舞台でありながら、メキシコ人が一斉に生贄となり、独立記念日に叫び、あるいは氷が張られスケートリンクとなるような人々の行為を担保する場でもある。しかしながら、ソカロは計画された空間とも生きられた空間とも言い切ることはできない。ソカロは物的環境として自律した主体である。



上左:「空間の生産」カバー 上中:オースマンにより計画されたパリ=空間の表象 上右:メキシコシティのベシンダー=表象の空間 下左:グアナファトのメルカド=表象の空間 最右:群衆に占拠されるソカロ=空間的実践先の2つのフィエスタは、権威的になりかかっている建築作品=空間の表象に対し、フィエスタによる使用・占拠=表象の空間を重ねることで、物としての空間のポテンシャル=空間的実践を止揚する試みである。そして建築を建築作品の枠組みから脱出させる試みでもある。そして大変幸運なことに、メキシコにはこうした空間の質を転換できる冗長性が十分に残されているのである。